「安田純平さん事件」にどう向き合ってきたか 土井敏邦 ジャーナリスト

 

2015年2月、シリアでの後藤健二さん殺害事件の直後、ジャーナリストの川上泰徳さん、石丸次郎さん、綿井健陽さん、それに私の4人が集まって、「今後こういう事件を未然に防ぐために何をすべきか、またすべきでないかを、危険地で取材し報道する私たちジャーナリストたち自身で検討し、継承していこう」と立ち上げたのが、この「危険地報道を考えるジャーナリストの会」(略称・「危険地報道の会」)である。

後藤さん事件以後、危険地を取材するジャーナリストたちへの日本社会の目はいっそう厳しくなった。「金稼ぎのために勝手に危険な地域に入っておきながら、誘拐され人質になると国に助けを求める。国に迷惑をかける困った連中」という非難の声さえある。後藤さん事件直後、シリアの非戦闘地区へ取材に向かおうとしたカメラマン杉本祐一さんが外務省にパスポートの返納命令を受けた事件に、75%の市民が政府の行動に賛成するという当時のある世論調査の結果は、そんな日本社会の空気を象徴している。

なぜそうなってしまうのか。「危険地報道の会」の中で議論の末、私たちは「危険地を取材するジャーナリストの役割と仕事の意義、つまり遠い危険地の状況を“日本人の視点”で“同じ人間のこと”として日本社会に伝えるという役割と意義が、社会に十分認識されていないからではないか」と考えた。ならば、それを社会に広く訴えていこうということになった。その第一歩が、危険地報道に携わるジャーナリスト10人の共著「ジャーナリストはなぜ『戦場』へ行くのか―取材現場からの自己検証」(危険地報道を考えるジャーナリストの会編・集英社新書)の出版だった。

その筆者の1人になるはずだった安田純平さんが、シリアで拘束されたのは去年の6月だった。当初から私たちたちの会の話し合いに参加していた安田さんの拘束は、会にとっても大きな衝撃だった。事件発生当時から私たちは、拘束直前まで連絡を取り合っていた安田さんと親しい他のジャーナリストたちから情報を集め、「自分たちに今できることは何か」を模索した。しかし「いま下手に動くとかえって危ない」「独自のルートで交渉中だから動かないでほしい」といった声もあり、私たちはしばらく事態を見守ることにした。しかし、1年近くに経ってもまったく事態の進展がなく、一方で「助けてください。これが最後のチャンスです」という日本語の紙を掲げる安田さんの憔悴した動画が報道されるなか、私たちも行動を起こす決断をした。

それは、まず安田さんを拘束しているとみられる「ヌスラ戦線指導部」〔現・シリア・ファトフ(征服)戦線〕に安田さんの解放を求める直接の声明をアラビア語で出すこと。同時に日本政府に、「ヌスラ戦線指導部」に影響力を持つカタールやトルコなどの政府に協力を求め、救出に全力を上げるよう要請することだった。

2014年8月にアメリカ人ジャーナリストが「ヌスラ戦線」から解放されたとき、アメリカ政府が動いた。ケリー国務長官は「2年間、アメリカ政府は解放を実現するために、解放を支援してくれる力になってくれる者、手段を有するかもしれない者たちに緊急の援助を求めて20ヵ国以上の国々と連絡をとった」と語っている。また今年5月に安田さんと同じく「ヌスラ戦線」に拘束されていたスペイン人ジャーナリスト3人が解放されたときも、スペイン政府が関与・活動し、トルコ、カタールが協力したと報じられていた。

安田さん救出は個人の力では不可能であり、政府が動かなければ実現できない。だから私たちは日本政府に向けて、アメリカ政府やスペイン政府のように動いてほしいと要請する声明を出すことにしたのである。

しかしそれを公開する直前、ある関係者から「政府は(安田さん救出のために)動いている。こうした声明は、安田さん解放や救出に向けた動きの障害になるので止めてほしい」という要請があった。「6月29日が交渉期限」と自称「交渉人」が日本側に伝えてきた微妙な時期だったこともあり、私たちは声明の公開を一旦、思い留まった。

一方で私たちは、政府が実際どう「動いている」のかを知り、その政府と実際「危険地報道」に関わっている私たちと何か協力しあえる道はないかを探るため、外務省の関係部署の担当者に会談を申し入れた。

私たちに対応したのは、領事局・邦人テロ対策室課長補佐だった。私たちは丁重にこちらの意図を説明し、情報の提供を求めたが、その課長補佐はただ「事案の性質上、お答えは控えさせていただきます」と繰り返すばかりで、私たちの質問に何一つ答えようとはしなかった。

この拘束事件は安田さんだけの問題ではない。「危険地取材」をする私たちジャーナリスト全体の問題である。だからこそ、このような事態に政府がどう対応しているのかという基本方針、また政府と共有すべき情報や前提を私たちジャーナリストも知っておかなければならない。政府も安田さんの救出に動いているのなら、私たちからの情報も必要なはずだ。しかし、私たちをまったく相手にしないという対応に、私は呆れ、怒りさえ覚えた。

そして私はこう勘ぐってしまうのだ。
「政府は、実際には本気で救出のために動いていないのではないか。その一方で、私たちが『カタールやトルコなどの政府に協力を求めてほしい』と公に訴えると、それをやらない自分たちが世論から批判されかねないと恐れ、関係者を通して私たちの“口封じ”しようとしているのではないか」

またこうも考えてしまう。
「もし安田さんがフリー・ジャーナリストではなく、国の方針に従順で国に利潤をもたらす大企業の駐在員だったら、外務省は、その情報を求めてきたその関係者に『事案の性質上、お答えは控えさせていただきます』と繰り返し、突っぱねるだろうか。」

「邦人の安全確保は政府の最も重要な責務」(5月30日・菅義偉官房長官)という建前とは裏腹に、外務省つまり政府の「安田さん拘束事件」への対応の根底には、危険地報道の意義への無理解、それに携わるジャーナリストたちに対する「国に迷惑をかける困った輩だ」という根深い偏見と「危険地帯で人の悲劇を漁る“ハゲタカ”のような連中」という無意識の蔑視があるのではないか。しかもそれは、この意識を共有する社会の空気に支えられているのではないか。

だからこそ、私たちは、「危険地報道」の意義と役割を、日本社会に根気強く訴えていかなければならない。私たちが「危険地報道を考えるジャーナリストの会」を立ち上げる意味の一つは、まさにここにあると私は思う。

-土井敏邦(どい・としくに), 安田純平さん拘束関連