シリアの市民ジャーナリスト、ハディ・アブドラ氏に「報道の自由」賞 (中東ジャーナリスト 川上泰徳)

中東ジャーナリスト 川上泰徳

アレッポの空爆現場で住民のインタビューをする市民ジャーナリストのハディ・アブドラ(右)=アブドラのインタネットサイトの動画より

アレッポの空爆現場で住民のインタビューをする市民ジャーナリストのハディ・アブドラ(右)=アブドラのインタネットサイトの動画より

国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団(RSF)」が主催する「RSF-TV5モンド報道の自由賞」の今年の受賞者が11月7日に発表され、シリア内戦が続くシリアの反体制支配地域で戦地から現地のニュースを伝え続けてきたシリア人市民ジャーナリストのハディ・アブドラ(Hadi Abdullah)氏(29)がジャーナリスト部門で受賞した。

RSFの報道の自由賞は、国際的に最も権威の高い賞の一つ。シリア内戦は5年半を迎え、反体制地域ではアサド政権軍やロシア軍の空爆が続き、一方で「イスラム国(IS)」によるジャーナリスト攻撃も続いている。その危険地帯から、地元の市民ジャーナリストが、内戦の状況を世界に発信している。特にアレッポやイドリブを拠点に報道をつづけるアブドラ氏は傑出した存在である。

アブドラ氏の受賞は、現場が危険すぎて、欧米のメディア企業やフリージャーナリストが簡単には入ることができなくなっている中で、地元の市民ジャーナリストが現場に行き、インターネットを使って世界に情報を発信するという、これまでになかったジャーナリズム状況が生まれていることを示している。

私は今年夏に朝日新聞社が発行する月刊誌「Journalism」の「海外メディアリポート」でシリアの市民ジャーナリズムを取りあげ、そのなかでアブドラ氏の活動についても書いた。

現場復帰後、6月の爆発で死んだカメラマンの墓に参ったアブドラ=アブドラのリポート映像より

現場復帰後、6月の爆発で死んだカメラマンの墓に参ったアブドラ=アブドラのリポート映像より

アブドラ氏は6月中旬に、彼の住宅に仕掛けられた爆弾テロで彼自身、重傷を負い、一緒にいたカメラマンが死亡する事件が起こった。2カ月後の8月にアブドラ氏はトルコでの治療を経て、シリアの報道現場に復帰した。そのことは、ニューズウィーク日本版で「『瓦礫の下から』シリア内戦を伝える市民ジャーナリズム」<http://www.newsweekjapan.jp/kawakami/2016/08/post-20.php>として書いた。

アブドラ氏の活動は、ジャーナリストが危険地で報道する意味を考える契機となると考え、「Journalism」誌と、ニューズウィーク日本版の記事に書いたアブドラ氏についての記述を次に引用する。

 

■朝日新聞社「Journalism」2016年8月号「海外メディアリポート」抜粋
シリアの市民ジャーナリズム 驚嘆すべき命がけの闘い

シリアの市民ジャーナリストのハディ・アブドラ(39)が、動画投稿サイト・ユーチューブにある公式個人サイトで公開している6月10日付の最新のリポートがある。
https://www.youtube.com/watch?v=1Eb55Km76Fs

政権軍の空爆によって破壊された住宅地の瓦礫の中で、救急隊員が集まり、鍬で瓦礫を取り除いている。「急ぐな、少しずつ、少しずつ」と、声がかかる。カメラが隊員の白いヘルメットの間から中をのぞき込むと、瓦礫の間にマネキンのような白い粉をかぶった顔が見える。鼻から血が出ている。「小さい女の子だ。気を付けろ」と声が上がる。

周りの瓦礫を取り除くと、女児の身体半分が露わになる。さらに左手、右手、そして右足と瓦礫から引き出される。少女は手も足もだらりと垂れている。隊員が少女を抱きあげると、「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と見守っていた住民の間から次々に声が上がった。隊員は女児を抱いて、救急車に運ぶ。カメラは女児が掘り出され、救急車に運ばれるまでの一部始終を追う。

救出作業の現場を背景にして、アブドラが、マイクを持ちリポートする。
「ラマダン(断食月)の5日目の10日、早朝からアレッポへの住宅地への空爆が続き、ここジャズマティ地区では、少なくとも3人が死亡し、3人が負傷しました。加えていま救助作業が進行中ですが、1家族が瓦礫の下にあります。空爆による新たな虐殺が起こりました。アレッポの市民は夜昼なく続く空爆に眠ることもできません」

アブドラは下敷きになった家族の父親と見られる男性にマイクを向ける。
「全く無差別の攻撃だ。犠牲になったのは民間人だ。それも女や子供だ。幼い女の子はわずか3歳だ」と、男性は声を張り上げ、手ぶりを交えて訴える。画面は先ほど瓦礫から引き出された女児がベッドに寝かされ、心臓マッサージを受ける場面に変わるが、父親が叫ぶ声は続く。「3歳の子供がなぜ、殺されなければならないのか。何をしたというのだ。毎日、毎日空爆が続く。なぜ、こんな不正が許されるのか。アラブ諸国は何をしている。国連は何をしている」

3分ほどの動画だが、アサド政権とロシア空軍による空爆が続く反体制地域の悲惨な状況を凝縮して伝えている。

アブダラはシリアの反体制地域では最も有名な市民ジャーナリストである。その個人サイトやユーチューブには、生々しい現場リポートがあふれている。空爆があれば夜中でも現場に駆け付けて市民の声を伝え、さらに反体制の自由シリア軍の作戦にも同行し、銃弾が飛び交う現場で頭を下げて走り、戦士たちにインタビューをする。カメラマンとコンビを組み、カメラの前に立って現場のリポートをするスタイルをとる。

彼は大学では看護学を専攻し修士課程に進み、大学で教えていた。内戦が始まると野戦病院で働いた後、反体制派の市民ジャーナリストとして活動を始めた。最初はシリア中部のホムスで活動していたが、現在は北部のアレッポに拠点を移した。

アブドラのチームは特定の政治や宗教には関わらないことを原則にしたという。彼はあるインタビューでこう話している。「私たちは何が起こっているかを知らせることだけを目的とした。人々は政治でも宗教でも、自分が望んでいることを語り、私たちはその声をそのまま伝える。私たちは政治や宗教に偏ることはないし、自分たちが特定の組織で何かの地位を得るわけでもない」

特定の政治や宗教のために働くのではない、というのは、欧米や日本で大衆を対象にした商業メディアにとっては自明のことである。しかし、強権体制によるメディアの統制が一般的なアラブ世界では、メディアは「市民本位」ではなく、「権力本位」である。メディアは情報省の管轄にあり、政治や外交の論調は、情報省の一部である「国営通信」の論調に規定される。新聞、テレビや、そこに属するジャーナリストは国民統制を担うことになる。

シリアで反体制デモの後、反体制地域で広がった市民ジャーナリズムを代表するアブドラが、「現場で起こっていることを伝える」「政治や宗教での中立」「ジャーナリズムの独立」を強調し、権力や権威ではなく、市民の側に立つことを明確に表明したのは、アラブ世界ではこれまでになかったことである。

 

■ニューズウィーク日本版の2016年08月13日付
「瓦礫の下から」シリア内戦を伝える市民ジャーナリズム

8月6日に反体制勢力による攻勢が伝えられる中で、アレッポからの新着レポートが届いた。私がインターネットで登録しているアレッポにいる市民ジャーナリスト、ハディ・アブドラのビデオリポートだった。アブドラはシリアの反体制地域で活動する市民ジャーナリストだが、6月16日に自宅に仕掛けられていた爆弾が爆発し、瓦礫の下敷きになって両足を骨折するなど大けがをし、トルコに運ばれて入院していた。一緒にいたカメラマンのハレド・エッサは10日後に死亡した。爆発は著名なジャーナリストである彼の暗殺を狙ったものという見方が強い。ほぼ50日ぶりのジャーナリストとしての現場復帰である。

足だけでなく、内臓も痛めて、病院で8回の手術をしたという。復帰後初めてのビデオリポートは、アレッポの反体制勢力による攻勢の最前線に立っているアハラーム・シャム運動の司令官の、8月5日に行ったインタビューだった。アブドラは両足の膝から下は包帯がまかれ、車いすに座ってのインタビュー。1か月半の入院のせいか以前と比べて痩せている印象だったが、アブドラがジャーナリズムの現場に戻ったことを、インターネットサイトも衛星テレビも、反体制系のメディアは一斉にニュースとして取り上げた。

復帰後第2弾のリポートでは、アブドラが亡くなったカメラマンのエッサの墓を参り、「私は私たちが始めたことを続ける。あなたの言葉と笑顔はいつも私とともにある」と語りかけている。エッサが、これまでシリアで命を落とした多くの市民ジャーナリストに名を連ねる結果になったことには胸が痛む。

アブドラがリポートを発表してきた媒体の1つであるカタールの衛星放送アルジャジーラのサイトで、退院後、「死の瓦礫の下から」として爆発の様子を書いている。「私はまだ生きていて、死んでいないということを確信し始め、何が起こったかを語ることができるようになった」と書く。「私はシリア人が瓦礫の中から救出されるビデオを何十本も撮ることになるとは考えていなかったし、ましてや、自分自身が運び出されることになるとは想像もしてなかった」と続けた。

その日、カメラマンのエッサと共に仕事を終えてアレッポのアパートに戻ったのは夜中の零時前で、バルコニーにいる隣人に声をかけて中に入った直後に、爆発し、ビルが崩れ落ちた。その時の様子を、アブドラは「いきなり石と鉄と、土煙に周りを取り囲まれ、身動きができなくなった」と書く。意識はあり、アブドラの後から続いてビルに入ったエッサに向けて「私の声が聞こえるか、私はここだ」と叫び続けた。エッサから返答はなかった。エッサは頭に破片が入り、意識を失っていた。アブドラは全身に耐えられないような痛みが走るのを感じた。「1分、1分と時間が過ぎていくのが、まるで数年のように感じられる。そのうち体にのしかかっていた重さが少しずつ軽くなってきた。私の上にあった石が1つずつ取り除かれる。足から、腹部から、そして胸から......」

アブドラは市民ジャーナリストになるまでジャーナリストの経験はなかった。シリアの多くの市民ジャーナリストが同じである。シリアのアサド政権はアラブ世界の中でも厳しい強権体制であり、言論の自由は全くない。政府軍によるデモ隊への銃撃や逮捕の様子を取材し、アルジャジーラやアラブ首長国連邦(UAE)の衛星放送アルアラビヤなど、シリアの反体制勢力を支持する湾岸世界のメディアに情報を送りはじめた。その後、インターネットのツイッターやフェイスブックなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)を通じても情報発信するようになった。

内戦が始まって5年が過ぎ、シリアではアラビア語の衛星放送局として「オリエントTV」「ハラブ・ヨウム(今日のアレッポ)」、さらにアラビア語ニュースサイトとして「シャバカ・シャム(シリア・ネット)」「スマート・ニュース」「サダー・シャム(シリアのこだま)」など、数えきれないほどの反体制系のメディアが生まれている。それを支えているのが、市民ジャーナリストである。

シリアの反体制地域が非常に危険になったために、欧米のメディアも現地に入りにくくなっている。それを補うために、シリア人の市民ジャーナリストが、欧米のメディアにも現地の情報を提供する。それはシリア人にとっての収入源であり、反体制系のメディア企業が成立する理由ともなっている。報道の質や技術も次第に向上している。

ジャーナリストが現場に行かねば、政権側の発表や、主要な反体制組織の発表など、それぞれの「大本営発表」だけが流れる。アレッポの攻防戦にしても、シリアの反体制地域で市民の動きが映像とともに入ってくるのは、そこにジャーナリストがいるからだ。イラク戦争の後、治安の悪化で欧米のメディアがほとんど入ることができなくなったイラクでは、何が起きているかはほとんど分からなかった。シリア内戦の後、同じように危険な状況になりながら、シリアの場合には市民ジャーナリストによる情報発信があり、悲惨な状況が分かる。

強権がはびこるアラブ世界、その中でもジャーナリズム不毛の地だったシリアで、内戦をきっかけに、世界の最先端ともいえる市民ジャーナリズムの実験が始まっているのである。

-川上泰徳(かわかみ・やすのり)