危険地報道報告会リポート [3] アピールと質疑応答

■質疑応答      司会 石丸次郎

会場に質問用紙を配って記入してもらい、司会者の石丸次郎が回答者を指名して答えた。

――桜木さんに。取材のために武装勢力にお金や謝礼を支払うことはありましたか? もし、支払ったのなら、それが勢力の軍資金に使われる可能性についてどう考えるか?

桜木 5回シリアに行って、実際にガイドにお金を渡したのは2回だけです。2012年と13年にアレッポに入った時に、メディアセンターを仲介したのですが、その時に1日300ドルで1000ドルくらい払いましたけれど、メディアセンターは海外のメディアを集めてツアーなどをします。BBC(英国放送協会)など組織は1日1000ドルとかはらうのですが、私はフリーでお金もないので、1日300ドルとか200ドルとかディカウントしてくれました。そのお金がどこにいくかは、わたしが感知するところではない、ということです。

――川上さんに。ホワイトヘルメットは反体制地域の民間防衛隊ですが、ホワイトヘルメットをめぐっていろいろな情報が流れました。彼らの正体はなにか? 反体制側のプロパガンダの情報ではないかということです。次に反体制地域の市民ジャーナリストについて、この人たちを紹介することは反体制側の広報活動になるのではないか?ということについてはどう考えていますか?

川上 ホワイトヘルメットについて、救援活動についてやらせなのだという情報がインターネットで流れています。私はその代表的な情報で、日本のシリア専門家でさえ記事で引用している例について、元の情報をたどって検証し、昨年12月末にYAHOOニュースのコラムに掲載しました。それは、反体制地域の時期が異なる3つの場所で、青い服を着た同じ少女がホワイトヘルメットに救助されていて、それはやらせだ、と告発するものでした。

私は告発画像に出ている3つのニュース映像の元の記事を探して、時間と場所を確認しました。3つの少女の画像は実際にニュースとして流れた3つの動画からとったものでしたが、それが「青い服の少女」というだけで、服はすべて異なっていました。さらに、3つの現場のうち2つは政権軍の包囲攻撃を受けているアレッポ東部で、3つめの現場は、そこから170キロ離れ、やはり包囲されているホムスでした。移動するのが困難な場所で、ホワイトヘルメットが同じ少女を使うことは不可能です。

ホワイトヘルメットが3つの救援現場で同じ少女を使って救助を演出しているという告発画像には、全く根拠はなく、単に、人命救助にあたるホワイトヘルメットを中傷するために、でっち上げたものです。

人命救助にあたっている組織は、反体制派のプロパガンダのためにしていると中傷することはあり得ないはなしです。ヌスラ戦線の支配地域で政権軍の空爆で瓦礫に埋もれた市民を救助するホワイトヘルメットを、ヌスラ戦線のプロパガンダだというなら、アサド政権の支配地域で人命救助にあたっている活動は、アサド政権のプロパガンダということになりますが、そのようなことはナンセンスです。そのような批判こそ、政治的に偏向しているということでしょう。

市民ジャーナリストについても同様で、アサド政権の支配地域に行けば、海外のメディアも、日本の目でジアも政権の支配から全く自由ということがありませんし、反体制地域で活動する市民ジャーナリストが、反体制地域を支配する武装勢力から全く自由ということはありません。しかし、ジャーナリストが現場に行って現場で何が起こっているかを見て、報じることはジャーナリズムの原点であって、そこで支配的な政治勢力のプロパガンダのためにしているわけではない。ジャーナリズムが発信する情報は、まずは市民社会に向けて、何が起こっているかを知らせるために、行われるものです。

――シリアでの4月4日の化学兵器の使用は、アサド政権によるものだと決めつけた報道がありますか、それは確認されたものなのでしょうか?

川上 アサド政権が使用した可能性が高いが、確認された情報とは言えないでしょう。米国が確認しないで、アサド政権に対してミサイル攻撃をしたことを、私はよしとはしません。確認作業をすべきだと考えます。

秌場さんに。
―― TBSのアサド大統領会見について、アサド政権のプロパガンダになっているのではないかという声があります。秌場さんはTBSを代表しているわけではありませんが、個人としてどう考えますか?

秌場 私たちはあれを100%すばらしいと考えているわけではありません。インタビューをするにあたっていろいろな条件もありました。私たちがインタビューを申請して2年ほどして実現したもので、私たちがする前に、米国の3大ネットワークから、中国のメディア、アルゼンチンのメディアなどがインタビューを行い、日本のメディアがアサド大統領会見を行ったのは、G7の中で最も遅いものでした。シリア側からインタビューの条件が出来上がっていて、「このような条件で行っています」と言われました。条件には、インタビューの全編を放映することというものもあり、それは地上波ではむりなので、CSやインターネットに載せました。ニュース23などでアサド会見として流したのは、全編のトレーラー(予告編)という位置づけです。普段はそのようなことはしませんが、条件をのんでも、やる意味があるだろうと思いました。

プロパガンダではないかという批判については、そのように見る人もいるかもしれませんが、私たちはアサド政権寄りの報道ばかりではなく、先日も、化学兵器使用で双子の子供を亡くした父親のインタビューをとりました。私自身、シリアの周辺国で反体制勢力の関係者のインタビューもして、出してきました。難民としてギリシャに上がっているシリア人にインタビューして、シリアにいたら政府軍の空爆で殺されるから、海に出ることにかけたんだというコメントも放送してきました。ですから、全体としてみていただければと思います。

確かにアサド大統領の言っていることを全編流しましたが、それは、それを見てみなさんがどのように判断するかにゆだねるということです。今世紀最大の紛争の一方の当事者であり、その人物がどのような論理や思考で、自分がしていることを正当化しているかを、みなさんに見ていただく、ということで、それは意味があると思ってやりました。

アサドのインタビューを流すのは、彼の見方を私たちが受け入れているということでは全くないです。シリアのバッシャール・アサドという人が、こういうふうに考え、こういう論理立てて抗弁をしてくるということを、皆さんに提示したということです。

――シリア政府の情報省に対して取材の謝礼を払うことはあるのでしょうか?

秌場 情報省にお金を払うことはありません。通訳をしてくれる人は一生懸命してくれるので、チップぐらいは払いますが。

―― 紛争地や途上国に行って写真を撮り、現地の人々にインタビューをする一般人と、ジャーナリストとは何が違うのでしょうか? ジャーナリストの定義とはなんなのでしょう?

五十嵐浩司 事実を見つけて、それを報じるというのがジャーナリズムと定義すると、NPOの人がすることも、市民ジャーナリストの人たちがすることも、ジャーナリズムになっています。マスメディアを使うのがジャーナリズムだという時代はとうの昔に終わりました。誰でも発信できる時代に、どのようにジャーナリズムを定義づけるかだと思います。

例えば、3月31日まで大学生だったのに、新聞社に入ったので4月1日からジャーナリストだというバカな話はないと思います。何の訓練も受けていない人間が、そのように呼ばれるならば、その定義は実に曖昧です。ですから、ジャーナリズムというのはテレビの番組とか、新聞とか、雑誌とかそうしたものではなくて、それをつかまえに行く動きだと理解すると分かりやすいのではないかと思います。

ですから、ジャーナリズムの定義は変わらないけれど、今の時代、ジャーナリズムのすそ野がグーンと広がっていると考えれば、NPOの人がジャーナリズムの行為を行ったと私は理解しています。

それがジャーナリストになると、専門にジャーナリズムに取り組んでいるという専門性や、ずっとジャーナリズムに取り組んでいるという継続性が、必要なのかなと考えています。

高橋弘司 私は横浜国立大学でジャーナリズムを教えています。毎日新聞で32年ほど記者をしていました。国際報道は11年ほどやっています。プロのジャーナリストであるかどうかについてですが、例えば、アサド政権側のツアーに参加することは重要な意味があると私は考えますが、それが伝え方の問題で、どのように伝えるかだと思います。どのような制限があったかを含めて伝えればいい。

政権側からは、どのような情報コントロールがあって、外国メディアにどう自分たちをよく見せようとしているかまで伝えることができるかどうか。押し着せの取材であっても、ジャーナリストが批判的な目でそれをつたえることができるかどうかで、一般の人と、ジャー―ナリストとの違いだと思います。

私の経験で言うと、私が96年から2000年までカイロ特派員でした。その当時はイラクのフセイン政権の時代で、ある時、大統領宮殿の取材がありました。その時、数百人の貧しいイラク人が「フセイン大統領万歳」と言っているのを取材しました。写真も撮りました。30分ほど、その取材をして、終わった後も、私はずっと見ていたのですが、情報省の役人が来ていた全員に弁当を配りました。どこから来たのかと聞いたら、バグダッドの貧しい地域からバスに乗せられてきていました。そこまで書けば、プロパガンダのツアーだということまで含めて伝えることができる。ジャーナリストと一般の人の違いはそこにあって、そこを考えたら、ジャーナリストが政権のツアーであれ、入ることは意味があると思います。

もう一つは、紛争地に行く時にも、ジャーナリストの仕事は取材した結果を発信することだ。取材した結果を伝えるため、生きて帰らねばならない。そのためには、信頼する通訳がいる、信頼する運転手がいるということです。私がこの危険地報道の会に参加したのは、この会を通じて、ジャーナリストがそのような情報を共有していくことが重要だと考えたからです。

土井さんに。
―― フリージャーナリストの取材を支える上で何が重要でしょうか? 資金面、政治的な条件づくり、市民側の支持でしょうか? また安全性を現地取材でどのように担保するのでしょうか?

土井 それはなぜ、これだけ貧乏しながら、フリーランスをやっているかということへの答えを迫られることになりますね。後藤さんが亡くなった時や山本美香さんが亡くなった時に、現地の人のことを命がけで伝えるようとした英雄なんだという見方に違和感を覚えました。

私は現地に行きたいということで、あまり肩に力をいれなくてもいいんじゃないかと思います。他の人は知りませんが、現地に行くには、いろいろな動機があります。

「これをやればテレビに出せる、お金になる、有名になるかもしれない」とか、ものすごくドロドロしたものを私は持っています。私はそんなきれいごとだけで動いているのではありません。でも私はそれでいいと思っています。人間はきれいごとだけで動けるわけがないのですから。

でも、現場に行くとこれを伝えずにおくものかという気持ちもわいてきます。ファインダーをのぞきながら、涙が止まらないこともあります。「これを伝えずにおくもんか!」と。そして、そんな現地の人と出会うことで、私自身が人間として深められていったと思います。私はパレスチナで育てられました。私は、パレスチナは“人生の学校”だと思っています。幸せとは何か、抑圧とは何か、自由とは何か、それを彼らから教えてもらいました。自分自身が、取材を通じて深められたと思っています。

だから、私はジャーナリストがどうと肩をはった発言はしたくないし、自分のために行っているんだということ、そして、それを伝えることで、人の役に立つんだったら、意義のあることだし、うれしい。しかし、私は「人のためにやっているのではない。自分のためにやっているんだ」ということを忘れないようにしています。そうしないと、こんなに自分はやったのに、評価されないということになってしまう。こんなにやったのに、お金にならないとなる。お金のためじゃないといっても、それは嘘だと思うし、僕らも生活していかねばならないからお金を稼がなくちゃいけない。それも本当です。名誉欲もあります。自己顕示欲もあります。しかし、伝えずにはおくものかと涙が出る自分がいるのも確かだということです。

―― おなじ質問を桜木さんにお聞きしたい。

桜木 シリアに行くのも、そこに暮らしてる人が好きだから行くわけで、好きなことをやっているので、赤字になっても、仕方ないと思うのです。

―― ジャーナリストは中立性(が大切)と言われますが、中立だと言って報道しないうちに人が殺され、虐殺が進んでいくような場合に、どのように判断して、どのように伝えていくのか、どのように考えていますか? これは五十嵐さんに。

五十嵐 ルワンダの内戦が始まった時に、私はナイロビにいましたが、94年に虐殺が始まった時には、ワシントンにいました。私は、ルワンダの虐殺を伝えなかった張本人なので、いまの言葉を重く受け止めています。私は当時、ワシントンにいてアフリカのことを一番知っている日本人記者で、ルワンダで何が起こっているかも知っていましたが、米国による北朝鮮への攻撃計画に集中していて、ルワンダのことはさぼっていました。

そこの価値判断です。日本にとって北朝鮮のことは近いから大切ですが、だからと言ってルワンダで80万から100万死んでいいのかということです。私が新聞社を辞めて大学にきたのは。自分が何を伝えたかではなく、自分が伝えるのをさぼったことを学生に語るということを授業でしています。答えにはなっていないかもしれませんが。(了)

※当日の入場者数は140名、ボランティア学生は12名 (大妻女子大学、横浜国立大学、早稲田大学)でした。また、会場でお願いしたカンパが、計6万8463円も集まりました。御礼申し上げます。

-お知らせ

ページ: 1 2